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レオニッサの聖ヨゼフ証聖者   St Josefus a Leonissa        記念日 2月 20日



 西暦1556年北イタリアのミラノ市で聖フランシスコの流れをくむカプチン会修道者フェルノのヨゼフという一司祭が逝去した。この人は欧州に盛んな「四十時間の御聖体訪問」という信心の業をはじめて提唱したので知られているが、それはその名の如く、信者が聖堂を訪問し、四十時間、昼も夜も絶えず祭壇に顕示され給う御聖体に対し、祈りを献げる事をいみするのである。

 ところが丁度その同じ年、ウンブリアのアッシジにほど近い、レオニッサという町に、後年この「四十時間の御聖体訪問」の信心を盛大ならしめた聖人が呱々の声を挙げたのは一奇と言わざるを得ない。彼はデシデチのヨハネというさして裕福ではない伯爵の家に生まれ、受洗の折りにはオイフラニオという霊名を与えられた。幼くして両親を失い、ヴィテルボ大学教授である伯父の許に引き取られて養育されたが、添付の英才は間もなく人々の讃歎の的となるに至った。伯父は行く行くは彼を某公爵の令嬢と結婚させるつもりでいたけれど。本人は学生時代に種々の危険があったにもかかわらず無事に切り抜けた清い心をそのままに、世間的栄誉や家庭生活を望む気持ちは少しもなかったから、アッシジの聖フランシスコが創立したカプチン会に入ってヨゼフと言う修道名を授かり、人知れず着衣式も済ませたのである。
 これを知った伯父は事が志に違ったのを大いに憤り、暴力に訴えても彼の心を翻らせようとしたが、ヨゼフはあくまで踏み止まって完徳の道を歩む初志を守り通し、聖フランシスコの模範に倣い、或いは我が身を犠牲として信じ難いほどの難行苦行を行い、或いは昼夜祭壇の前に平伏して熱烈な祈りを献げるなど、ただ主を愛し、己を捨てる努力精進に余念がなかった。
 このように熾天使にも劣らぬ聖愛に燃えている彼であったから、信仰の為に生命を献げることはもとより望む所で、1587年カプチン会総長からトルコへの派遣の命令を受けるや、喜び勇んでその異教の国に赴き、コンスタンチノーっぷる市に奴隷となっているキリスト信者等を慰め救い出したのみならず回教の迷妄に沈んでいるトルコ人達を相手に、公然聖福音を宣べ伝え、殊にさまざまの事情や艱難に打ち負けて棄教した信者等に主の愛を説いて改心させるなど、盛んな活躍振りを示した。
 ヨゼフはなおそれに止まらず、トルコ国皇帝メレク・エル・カミルに聖教を伝えた聖フランシスコに倣おうと、ある日その城を訪れたが、たちまち衛兵に捕らえられ、牢獄に投げ込まれ、間もなく恐ろしい刑罰を受けることになった。それは鋭い鈎に左の手と右の足とを突き刺して宙に吊され、二日四十時間というもの責められたのである。当時あたかも33歳であったヨゼフは、イエズス御受難の年齢に、主と同様な苦しみを受けて致命し得る光栄を深く喜び、その恵みを与え給うた天主を、激しい痛みの中にも讃美謳歌して已まなかった。
 刑吏はいやが上にも彼を苦しめようと、その真下に火を焚いて燻しはじめた。黒煙はもうもうと渦巻き上がり、呼吸は一刻一刻苦しくなり、もはや最期と聖人は覚悟したが、その時皇帝より死一等を減ぜられ国外に追放される事になった。
 それからヨゼフは故国に帰り、今度はウンブリア地方を巡って、舌端火を吐く説教に、冷淡に陥った信者の心を再び天主への愛に燃え立たしめた。その説教は少なくとも一日三四度に上り、時には更にお多きをかぞえ、それに依って改心した者の数は幾ばくなるやを知らぬというから、彼の活動のいかに目覚ましくかつ有効であったか察せられよう。
 人々を冷淡や悪欲から救うために、彼が「四十時間の御聖体訪問」の信心普及に努めたのもその頃の事であった。彼は自分が四十時間責め苦を受けた身であることを忘れず、その時わが胸に燃えたぎっていたような、イエズスに対する愛と犠牲の精神をその信心の業によってあらゆる信者に鼓吹しようとしたのである。

 かようにイタリアに於いて使徒的活動を続ける事二十二年、ヨゼフは重い癌を患い病床に伏せる身となったが、その手術中医師が彼の身動きすることを懼れて、紐で台に縛りつけようとした所、彼は手にしている十字架を示し
「紐よりもこの方が強いから安心です」と言ったという。しかしあらゆる治療も無効に終わり、1612年2月4日彼は帰天したが、その激しい病苦の中にも終始天主への讃美を絶たなかったと伝えられている。
 その後彼の取り次ぎに依って奇跡の行われた事数知れず、為に1746年、時の教皇ベネディクト14世はこのレオニッサのヨゼフを聖人の列に加えられた。

教訓

 我等はレオニッサの聖ヨゼフを鑑と仰ぎ、彼の如く熱烈な信仰を以て天主の為には如何なる犠牲をも辞せぬ覚悟を定め、弱き心を強められん為にこの聖人の取り次ぎを願おうではないか。